震災から1ヶ月が経ちました。
未だに被害に遭った家々にはブルーシートがかけられています。
また、板金に葺き替えている家もチラホラ見かけるようになりました。
瓦には瓦の良さがあり、板金には板金の良さがあるので、
複雑な気持ちになりますが・・・。
現在、地震の影響により、瓦に限らず、建築資材や設備機器の納期は大幅に遅れています。
停電や、計画停電で、電力が使えないとき、
薪のボイラーが大活躍します。
実は岡村家の給湯は、30年前からこのボイラーを使用しています(1度取り替えています)。
外に大きな水の入ったタンクがあり、そこのタンクの下に木を燃やす竈がついています。
タンクは、大きめの電気温水器の大きさくらいでしょうか。
『お湯を出したければ、火を点けろ』というのは家訓のようなもので、
皆、朝シャン(古いですね)をするにも、一度外に出て薪に火を点け、
タンク内の温度計が60度~70度位になるのを確認してから
ようやくお湯を使います。
お湯を使えば温度が下がりますから、それを見越して、薪を追加して燃やしておくのです。
もし、薪を入れすぎると、温度が上がりすぎてしまい、
80度を越えた頃に安全装置が作動し、自動的に排水されてしまいます。
それを防ぐには、逆算して行動する事が必須です。
このボイラーが、電気を使えなくなっている状況のときに、
大活躍しています。
便利に生活している時は、寒い日や、暑い日などは、煩わしくて面倒と思ったりしましたが、
不便になると、電力を使わないボイラーが急に愛おしく感じています。
職業柄、薪が日常にあるという恵まれた環境とはいえ、
電気が点かないのに、温かいお湯が出るというのは、
幸せなことです。
今日は夕方より余震が頻繁に起きています。
これ以上、被害が大きくなりませんように・・・。
(2011.04.11)
今日は朝から瓦屋さんと、今回の震災で被害に遭われた方の被害箇所の確認にまわっています。
瓦の被害は今回の地震で特に広範囲に亘っています。
市の補助金や、保険の関係もあり、
必要書類に漏れの無いように、
今回の被害の状況と、これからの工事の予定や発注、工事金額をひとつひとつ考えていかなければなりません。
被害に遭われている家を修復する職人の確保、
広範囲の震災で、建築資材の不足、遅達、価格の高騰、材料調達の困難、
工事が行われるまでの応急処置のブルーシートや土嚢袋の管理・メンテナンス・・・。
考えれば考えるほど大変なことばかり。
完全に瓦やその他の被害場所が元通りになるには、
3年程かかるのではないかと言われております。
ということは、梅雨の時期は3回やってきますし、
この地方独特の夏場の雷雨、最近ではゲリラ豪雨などもあります。
寒い時期には"空っ風"と呼ばれる突風も吹いてきます。
今回のような応急処置を様子を観ながら何度もしなくてはならないかもしれません。
屋根の事だけではなく、新築・リフォーム限らず、
東北や北関東に工場があった建築関係の工場も沢山あり、
現在は、「生産を停止しております」「納期延期のお願い」などのFAXが続々と届いています。
それをどう対処したらよいか。
先の見えない予定を
考えなくてはいけません。
お施主さんの『笑顔』の為に
頑張るしかありません。
誠心誠意、頑張るしかありません。
(2011.04.07)
今日道を車で走っていて、
先日の地震により、棟が少し損傷していた家の瓦が、
全部取り除かれていました。
何だか変だな?と違和感を覚えながら
会社へ。
すると、こんな話が。
来社したお客様が、
家の周りに、瓦を全部取り除いて、葺き替えしている家が沢山あると。
「悪徳」な業者が居るという話でした。
それは、ちょっと信じられない話でもあります。
瓦は本来、大丈夫なところはまた使えるのです。
少し調べてみると、
東北関東大震災で、瓦の悪徳業者のトラブルが出てきているようです。
この群馬県太田市にも。
悲しい話なのですが。
私達と共に仕事をしている瓦屋さんは、
皆さん憔悴しきっています。
それは何故か?
自分が一生懸命やった思い出深い仕事が、天災とはいえ、
破壊されてしまったこと。
こんな辛い事はないのです。
大切に建てた家が傷つくという悲しさ。
これは、私たち工務店でも同じ事です。
悪徳業者と言われている業者さんとは、その気持ちに、大きな温度差があるはずです。
その業者が、その先まで気に留めていてくれる業者であるか?
『温度』を感じ取って頂けたらと願って止みません。
本来、依頼する方に感じ取ってと言うのはとても変な話なのですが・・・。
腹立たしい、
本当に腹立たしい話です。
工務店(大工さん)は、家のお医者さんです。
私たちは、そう思いながら、真面目に毎日仕事をしています。
そんな酷い事が出来るはずがありませんし、理解できないのです。
今回の地震では、瓦や壁に被害が多く出ています。
是非、信頼できる業者さんに依頼をすることをお勧めします。
先日の切妻大屋根の家に
足場が架かり、ようやく破損部分の取り外しが行われました(応急処置です)。
大切に大切に工事は行われました。

(2011.04.01)

先日の明治時代に建設された切妻大屋根の棟(ぐし)部分の損傷の
応急処置工事が始まり、
足場がようやく掛け終わりました。
このぐし部分は、、胸の辺りまでの高さがあり、西側部分が特に倒れています。
屋根勾配は7寸です。
写真は震災後、瓦屋さんが撮ったものです。
社長の話によると、
この瓦は、50年程前に葺き替えたものだそうです。
この家に限らず、瓦の葺き方は、15年を境に変わりました。
以前は泥葺きといわれる工法が主流でした。
実は、今回の地震では、泥葺きの瓦の被害が多かったのです。
瓦屋さんによると、泥葺きもそうですが、
やはり地盤の軟らかい場所に被害が多いそうです。
地名に水が関係しているところも被害が多いということです。
この太田市沖之郷町もそのような場所なのです。
(2011.03.29)
今朝方、通りすがりのおじさんが、
自転車を止めて、大工さんのもとへ。
昔、大工さんをしていたそうで、
「鉋(カンナ)をかけている大工を久々に見た」と言いました。
確かに、そうなのかもしれません。
工場からトラックで配達され、
梱包を開け、組み立てる。
そんな作業が、もしかしたら大工さんの作業となっているのかもしれません。
“目利き”など必要の無い時代。
私達は、この中で普通に、刻んだり、鉋をかけたりしていますが、
もしかしたら、こんな作業はしなくても良いのかもしれません。
やはり鉋(カンナ)かけは、大工さんの大事な仕事のひとつです。
鉋をかける木がある。
鉋をかけた木を使う場所がある。
鉋をかけられる大工さんがいる。
幸せなことなんですね。
きっと。
先日、瓦の応急処置の話をしましたが、
明治時代に建設されたM邸。
棟(ぐし)の損傷があり、
切妻の大屋根の為、応急処置が出来ないままでいました。
明日より、大掛かりな足場工事が始まります。
棟は、『ぐし』と呼びます。
棟上げのときに撒かれるもちを“ぐしもち”と言います。
追記です。
鉋をかけた時の、木の香もまた、良いものなのです。
鉋から出る鉋屑も美しいのです。
(2011.03.23)
ふと浮かんだメロディ。
題名も定かではなく、調べてみてもわかりませんでしたが、
かつて、太田市少年少女合唱団で歌っていた合唱(輪唱)曲です。
寄せては 返して
広がる 歌声
海へと 空へと
大きく
輪のように
地震で、この地域も広い範囲で被害が出ました。
岡村建業でも、お施主さんや、新たに頼まれた方の家々を
応急処置してまわりました。
地震の起きた次の日の土曜日から木曜日まで、
雨が降らないことを願いながら、
駆け足での仕事でした。
被害がとても多く、瓦屋さんが手が回らないこともあり、
大工さんのみで、散乱した瓦の撤去やブルーシートを掛けたり、
風で飛ばないように木材や土嚢袋で固定したり、
大工さんにとってはとても過酷な6日間でした。
応急処置をした家々は、35棟でした。
多い少ないという話ではなく、
創業100年を超えているという歴史を感じる1週間でもありました。
明治時代に建設されたM邸、その建設に携わる為に、
熊谷市妻沼(旧大里郡妻沼町)より岡村家がこの地に居を構えたということですが、
今回、その家にも被害が及びました。
そろそろ屋根の葺き替えをしようと言っていた矢先の地震でした。
今回広範囲にわたって応急処置をしましたが、
平均して築30年以上経過している家が特に被害が大きかったように思います。
また、その場所は、地盤が軟らかい場所である事(田圃の埋め立てや山の造成等)も理由のひとつです。
瓦の葺き替えがしてあるところには、
旧家や寺院であっても、瓦の被害はほとんどありませんでした。
自分達、また、先祖が建てた家が傷つく。
こんな悲しい事はないのです。
1週間が経ち、一息ついてみて、
ドッと悲しみが押し寄せています。
今回の地震で、
岡村建業の歴史の裏に、沢山のお施主さんがいることを、
頼りにされていることを、
強く感じました。
被害に遭われた方々の家々が完全に直るまでには、
1年はかかると言われております。
材料の調達や、瓦屋さんの予定、その他の職人さんの予定、
すべてがまだ未定の段階ではありますが、
何度も言いますが
『温度』の伝わる仕事をしていこうと
決意を新たに、一生懸命頑張る所存です。
東北地方の甚大な被害に及びませんが、
今、岡村建業の置かれている状況を
記録しておこうと思い、
今回ブログに載せました。
以前のダウンバーストによる被害も、
今回の地震もそうですが、
被災の境界、置かれている立場は様々です。
土地の形状や、地盤の軟硬、地形、家、
ある場所では平気である場所は平気でないということが
近いところで明暗を分けたりします。
言動には気をつけなければいけませんね。
言葉で傷ついたりすることも、
災害の余波であったりするのです。
今回の地震でも、原発でも
そんなことが問題にされています。
話は戻りますが、
ふと思い出した歌ですが、
寄せては 返して
広がる 歌声
海へと 空へと
大きく
輪のように
こんな感じで日本列島が優しさで包まれますように。
(2011.03.20)
本日より群馬県太田市でも計画停電が始まりました。
いざ、その中にいてみると、
静かな事に気付きます。
また、信号機が点かない交差点では、
車同士で、うまくタイミングをはかりながら通ったりして
意外とスムーズなのには驚きました。
こんなにも日本中の人がテレビやラジオの前に居たことがあったでしょうか。
余震を気にしつつも毎日変わるニュースに目が離せないでいます。
色々と「これからどうなるんだろう?」という数々のことを
思い出しては消え思い出しては消えという毎日です。
昨日、ブログにて、
ブルーシートと土嚢袋が無いと書きました。
実は地震のあと、伊勢崎市の仲間のstudio cube さんが、
ブルーシートをかき集めて持ってきてくれたのです。
今度はブログを見てくれたようで、
土嚢袋のことで連絡をいただいたのです。
早速、仕事が終わったあと、頂きにあがりました。
困った時に
さりげなく助けてくれるという優しさに
感謝の日々です。
毎日被害に遭われた家々の応対に追われる私たちも、
急ピッチで急勾配の屋根の上を何軒も補修に渡る職人さん達も、
心が和らぎました。
助けてくれてありがとう。
感謝。
studio cube http://www.studiocube.biz/
記事は15日に書いたものです
(2011.03.16)
今回の地震において、
この地域でも、屋根瓦の破損や塀が倒れるなどの被害が多数出ています。
現在は、施工中のお施主さんにお待ち頂き、
被害状況を確認し、順々に応急処置を行っております。
岡村建業のあります太田市沖之郷町というところは、
50センチ掘れば水が出るという程の軟らかい地盤です。
今回の地震では、沖之郷町周辺の広い範囲に被害が及んでいます。
2008年7月にダウンバーストの被害に遭ったばかりの場所なので、
二重の被害に遭われた方も少なくありません。
自然の力というものは、計り知れないと、
東北地方の甚大な被害を目の当たりにして、
愕然としております。
今、この土地で家を建てることを生業にする者として、
出来ることを精一杯やっています。
現在のこの近辺の状況としては、
ブルーシート・土嚢袋がありません。
太田市より、屋根の修繕費用の補助金が金券で上限15万円出ることが決定しました。
ガソリンスタンドには1時間・2時間待ちの長い列が出来ています。
(2011.03.14)