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手業を感じる

先日、太田市の重要文化財 『中島知久平邸』を見学してきました。
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玄関車寄せ

この邸宅は、中島飛行機製作所(現・富士重工業 スバル)創業者・中島知久平が、両親の為に建てた邸宅です。
平成21年に太田市の重要文化財に指定されました。

主屋は、玄関棟・居室棟・居間棟・食堂棟と分かれており、ひとつひとつに棟梁がおりました。(棟札より)
その食堂棟の責任者は、岡村信太郎という人で、親戚に当たります。
3代目 義一郎も、当時知久平邸建設に携わったということです。

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右側が食堂棟。

昭和5年築で、当時の金額で約100万円の建設費だったとの事です。太田市の資料によると、同時期建設の大阪城の復興天守が47万円といわれているそうなので、どれだけ莫大な予算をかけ建てられたのかということが伺えます。

知久平邸ストーブ.1jpg.jpg
電気ストーブ。
なんとあの当時でオール電化住宅だったという事ですから驚きです。

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30センチ以上あるブレーカー。

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カーペットの間から覗く床板の意匠も職人の手によるもの。


先祖の手業を感じた1日でした。
もう一つの岡村建業の歴史です。

何十年と人が住んでおらず、老朽化が進んでおり、寂しい気持ちで見学を終えました。
知久平邸が、これから大切に大切に保存されることを願っています。
出来る事なら、私たちの手で・・・と思いますが。

(2013.10.08)